確率について
ありがたいことに最近は初診の患者さんが多く、ホームページを見たと言っていただくことも多い。
コロナでバタバタしていたのを言い訳にサボってしまっていたため、日々の記録を再開したいと思う。
以前から考えていることではあるが、医療における選択は「賭け」である。
(コロナの報道を見るにつけ、さらにそう感じるようになった)
医学的根拠の多くは、統計による確かさに依るからである。
例えば、病気Aに対して、治療法1と治療法2があったとする。
治療法1の治癒確率が80%。
治療法2の治癒の確率が60%。
何もしない時の治癒の確率が50%
当然のことながら、僕らは、治療法1が一番「良い治療」だと考える。
「先生にお任せします。」と言われれば、この治療を選択する。
この前提に立てば、「良い治療」というのは、シンプルに「治癒の確率の高い治療」ということになろう。
ということは、「一番良い治療」を選択した時は、「最も確率の高い治療」を選んだと言い換えることができる。
僕が患者だったとしたら、一番良い治療を選択した時、「良かったー」と安心するだろう。
しかし、術者側に立つと「一番良い治療」というのは、「最も確率の高い治療」であり、「最も勝てる可能性の高い賭け」をさせているとも感じられるのだ。
ここで歯科の特殊性に対して確認したい。
歯科において、治療行為は「不可逆的な侵襲」を伴うものが多い。
不可逆的な侵襲とは、元に戻らない体へのダメージである。
例えば、歯を削って被せ物をするというのは、歯を削るという後戻りできないダメージと引き換えに、被せ物をして「治癒」という状態を目指す行為である。
この「不可逆的な侵襲」と「賭け」。
誤解を恐れずに言えば、究極的にはロシアンルーレットのようなものだ。
しかも、この侵襲は自分が受けるわけではないのだ。
僕を信用して、大事な体を任せてくださる患者さんが受ける。
このことへ向き合えば向き合うほど、歯科医師という仕事は辛くなるのである。
そのようなことを考えた上で12年かけて作ってきたのが今の医院の形である。
まずは、なるべく「賭けない」。
まだお付き合いの短い患者さんの場合は特に、体にダメージがあることは極力最小限にしたい。
一方で、歯科の扱うほどんどの問題は、細菌感染によるものであるから、細菌の定期的なコントロールしっかりと行う。
定期管理を通して時間を味方にし、患者さんの価値観と医学的な変化を見極め、最小限の体へ介入する。その場合、極力確率を上げるために、顕微鏡下で治療を行う。
シンプルに表現すれば、現段階での山麓通り歯科診療所のスタンスがこのような形である。
歯科の病気は、幸い命に関わることは少ない。(短期的に)
よって、
-時間を味方にして、ゆったりと疾患に向き合うこと。-
これが重要だと思うのだが、医療における競争が、それをさせづらくしているのかもしれない。(蛇足)